2013年8月23日金曜日

モスタルそれからサラエヴォへ

ドブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナの「モスタル」モスタルで1泊した後は首都「サラエヴォ」へ向かった。
セルビアの通貨は「ディナール」クロアチアの通貨が「クーナ」、ボスニアヘルツェゴビナは「マルク」と、最近使い切れず小銭が貯まってしょうがない。かなり重くなってきた。何とかならないものか。

モスタルへはバスで約4時間の距離。8:00発のバスに乗り時間通り12:00着。ホテルチェックイン後観光へ。
 
 モスタルは小さな町。そこに町のシンボル「スタリ・モスト」という石のアーチ型の橋が架かっている。この橋は世界遺産で2005年に登録された。
 
夜になるとこんな感じ、なんか夜のスタリモストもいい感じなんだよね。ただ日帰り客が多い為か昼に比べ夜は人が少なかった。
この橋から飛び込もうとする地元人。慣例になってるらしい・・・んだが、この若者は5分ほどして結局やめてしまった。こんだけの観光客目の前にして飛び込まないとは恥ずかしい。
土産物はトルコで見かけた物ばかり。水タバコも売ってた。このモスタルという町はユーロ、クーナ、マルクと三種類の通貨を使うことができる。1€=8Kn=2KM。便利な街だ。
 このモスタルは橋が命。お土産もこの橋関係以外は何処でも買えるようなものばかり。
遅い昼ご飯。ホテルのお母さんに「IRMA」という安いレストランを紹介してもらう。ボスニア料理「チェバブチチ」、6KM(420円)。トルコ料理にすごく似てる。場所は橋を渡って50mほど。
モスタルのご当地ビール「Mostar Beer」、3KM(210円)。特徴のある苦い味、クセがあって好きな味ではなかった。
夕食も同じレストランで、今度は昼間日本人学生が食べていた「チキンサラダ」を頼む、6KM(420円)。野菜は定期的に摂取しなきゃね。
 
モスタルで泊まったホテル「Nina Hostel」、1泊ドミトリーで18KM(1,200円)。ホテルを切盛りしているお母さんは凄く優しい。ウェルカムドリンクから始まり軽い朝食も出してくれた。
このホテル、自分の家を改造してホテルにしたような作り。俺も自分の家があったらやってみたい。
 
 モスタルは町自体は非常に居心地が良かった、ただ見どころが橋のみなので2時間もあれば観光は終わってしまう。
 
 
モスタルで一泊し、翌日首都「サラエヴォ」へ行きます。
 
サラエヴォへはバスで3時間。サラエヴォ行きは本数多く1日6本も走ってる。11:00発のバスチケットを出発30分前に購入。前日バスターミナル到着後買おうとしたら販売員から「当日買いに来てくれ」と言われた。バス代20KM(1,400円)。バス意外と綺麗。
14:00に「サラエヴォバスターミナル」到着。到着してあれ?っと思ったのが首都なのにバスターミナルちっこく、また横にあるサラエヴォ駅も閑散としてる。同じ首都のベオグラードやソフィアと全然雰囲気が違う。
予約したホテルの住所を前日調べるておくの忘れていたのでWiFiが使えるカフェを探してお昼食べながら探す。ハンバーガーとサラエヴォビール。(ビールばっか飲んでると思うかもしれないがコーラと値段が変わらないのでビールをチョイスしているだけ)
ホテル到着、「Hostel Enjoy」、1泊ドミトリーで16KM(1,100円)。モスタル同様自分のアパートを改造してホテルにしてる。ここで2泊する。
今日は移動日で終了。同じ日にチェックインした日本人学生と夕食。料理名は・・・忘れた。ボスニアのビーフ、6KM(400円)。
 
翌日、ホテルのお母さんが朝ごはんにパンをくれ、食べた後さっそく観光。
最初に行ったのは「トンネル博物館」。ホテルからタクシーで30ほどの場所にある。前日ホテルのお母さんがツアー観光しているのでどうかと言われたので参加した。チケット込みで10€。ツアー会社だと15€なのでお得だった。安い理由は夫がタクシー運転手だったから。夫の仕事を手伝うお母さん・・すごいね。
1993年の戦争時にサラエヴォの町は旧ユーゴ軍に包囲され、孤立した。他のボスニア軍基地と結ぶために作られたのがこのトンネル。
この700mのトンネルのおかげで物資をサラエヴォへ送ることができたとのこと。現在はふさがれており20mだけ観光用に公開されている。
ほんの20年前の話でガイドしてくれたお母さんも戦争経験者。話を聞いてたら胸が熱くなった。
観光エリアは駅から東に数キロほどの旧市街。ただこちらのほうが発展してる。人も多く町もきれい。
所々にみる進入禁止の標識、横棒が白でなく黄色・・なぜ?
ただベオグラードやソフィアに比べたら人は少なめ。日曜日なのに人とぶつかることはない。
「聖火」。町の大通りの中で静かに燃えている。第二次世界大戦の犠牲者の為24時間燃え続けてる。
さらに町の奥に進むと赤レンガの古い家が見えてくる。このあたりに来るとレストランやカフェが多く凄く活気付いてる。
旧市街から北東へ上ると「城塞」がありそこから市街を一望できる。今日ちょうど自転車レースやっていた。レッドブルがスポンサーのようで、スタートのリングがすごく目立つ。
「サラエヴォ事件現場」「サラエヴォ博物館」。博物館前の通りは1914年当時ボスニアを統治していたオーストリア皇太子がセルビア人青年に射殺された現場。第一次世界大戦のきっかけを作った場所。博物館はその内容が展示されているらしいが休館日で入れず。
 
歩き疲れたのでカフェで「ボスニアコーヒー」とアップルパイを食べる。ボスニアコーヒーはトルココーヒーに似ていて凄く濃くエスプレッソのよう。
 
 
公園にチェス盤が。かなり真剣の模様。外国人の真剣な顔を見たのはこれが初めてかもしれない。
旧市街を後にし、1984年冬季オリンピックが開催されたスタジアムへ向かう。写真は「墓地」。紛争の犠牲者を埋葬する為グラウンドを墓地にしたとのこと。
写真はスタジアムから撮った山の中腹にある墓地。よく見ると以前からあった古いお墓を新しい白いお墓が囲っているのが分かる。ボスニアは墓がホント多く、亡くなった人の遺影のある墓もあり、そして若い。1993年~95年に亡くなった人が多かった。
五輪会場を後にして駅のほうに戻る。写真奥に見えるのは「アメリカ大使館」。サラエヴォのどの観光場所よりも一番大きな敷地面積を持っているのではと思うぐらいデカい。写真撮影禁止で遠くから撮影。実は前日大使館横をスマフォ持って歩いたら警備していた警察官に呼び止められパスポートと携帯の写真チェックされた、スマフォで地図で見ていただけなのに・・・。
本日最後に行ったのが「スナイパー通り」。この通りは高層ビルに潜んでいるセルビア人兵が動くものすべて狙撃した場所。
アメリカ大使館もこの通りにあるので写真撮りにくかった。
Uターンしてホテルに戻る途中雨が降り始める、スナイパー通りなんかに来たせいなのか、雨に打たれてしまった。
 
ボスニアの観光はこれで終了。戦争は最近の出来事で戦争体験者が多い国、その人たちの話を聞けたのはいい経験だったと思う。
 
翌日、サラエヴォを後にし、クロアチアの首都「ザグレブ」へ向かいます。
 
ボスニア・ヘルツェゴビナのトータル費用(8月23日~25日) 223KM(15,500円)

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